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「さみしい夜にはペンを持て」書評・感想

さみしい夜にはペンを持て

みなさんこんにちは!仕事と思って何かをすると、一気に嫌になったりするものですよね。

今の私がそうで、書くことのスランプ状態です。

そんなときに蔦屋書店にやってきました。蔦屋書店に行くとたくさんの本があって、小物もあって正直疲れているときには行けないくらい、情報量が多い空間です。

その中に「さみしい夜にはペンを持て」という本を見つけました。どうやらタコが主人公の物語のようですが、その神髄は「書くことが好きになる、そして自分のことも好きになれるようになる本」のようでした。

糸井重里さんによって書かれた帯には「長編詩であり、冒険絵本であり、あらゆる少年少女のハンドブックであり、文章を書くことがすっかりおもしろくなってしまう魔法の本。こんな本は、世界中をさがしてもはじめてなんじゃないかな」と書かれていました。

かわいいイラストと会話形式でなにやらわくわくするものがすっと自然に目に入ってきたようで、わたしはそこでその本を買うことになるだろうなと思いながら最初の数ページを読みました。

そして帰ってきてその晩で読み切ってしまいました。文章を書くということに対してたくさんの答えが示された本だったので、一度読んだだけでは本質にたどり着けず、さっき2回目を読み切ったところです。

この本を通して書いてあることは、

日記を書くこと、
そこには行動ではなくて、自分の感じたことや考えたことを書くこと。
表現力を身に着けること。
日記をつけることは未来の自分へのプレゼントになりうること、
未来の自分に理解してもらい、そしてその続きが読みたいと思うことで自分の人生が楽しくなっていくことなどが書かれていました。

わたしもそのようなデイリーログが書きたい。日記として書くのもありだなと今は思っています。

そういえば今までの手書きの日記をずっと高校1年半書き続けたことがあります。1年半というのは、最初の1年半は不登校をしていたので、書くようなこともなく人生がつまらなかったからです。

後半の1年半は毎日が楽しく、楽しかった思い出しか記録されていません。あのときの日記は毎日「卒業したくない」「今日も楽しかった」「今日も笑いすぎた」と書かれていたと思います。残念ながらその日記は多分捨ててしまったんです。社会人2年目にうつになったこともあって、そのあたりの日記と混じってしまったんでしょう。

鬱の時はただひたすらつらいつらいと書いていました。でも、驚くことにそのとき日記に書いたこともあって記憶が鮮明に残っていたりするんです。なかにはつらいことも混じっていたかもしれませんが、断片的な記憶が全部楽しいものにすり替わっているんです。ぜひ今の自分にあの時の日記を読ませてあげたいなと思います。

今は40歳も目前となり、人生の節目やたくさんの選択と判断に迫られていて、また心を病んでしまいそうな気持ちです。

でもあのときの楽しかった自分も、つらかった自分も、通り数ぎれば「そんなこともあったな」「この時の自分はこんなことを考えていたんだな」いつしかそれも思い出になったり、懐かしむようになって、日記の中の自分を応援できるのかなと思います。

時間が経っていくのをおびえる今のわたしも、今が一番若い。

いろんな楽しむべきことがあって、ここに書いていることもすべて過去になります。昔の自分を応援できるのなら、今の自分も応援できて、明日がくることも楽しく、楽しいものになるはず。そう考えながらブログを書いています。

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